1989年の地区戦 ― 2011/11/08 08:43
全日本ジムカーナ選手権と全国ツアーシリーズの
ビデオテープのDVD化が終了して、
今は少しずつ地区戦やミドル、フレッシュマンのDVD化を始めています。
今は1989年当時の地区戦の処理をしていますが、
この年がジムカーナ隆盛のスタートの年だと思います。
開催会場は「富士スピードウェイCコース」、「胎内スキー場」、
「関越スポーツランド」、「浅間台スポーツランド」、
「茨城中央サーキット」、「さるくらモーターランド」でした。
(現在でも地区戦が開催されてるのは3コースだけですが・・・。)
この頃の主なナンバー付き競技車両は「AW11」、「EF7」、「GA2」でした。
タイヤは当然Sタイヤでしたが、今のネオバ程度のグリップ性能でした。
この年から、アナウンサーが盛り上げる機運が高まって来ました。
元祖絶叫アナ島村氏もこの年から地区戦のアナウンスを始めています。
この年以前のジムカーナイベントで、
まともにアナウンス出来るアナウンサーは
新潟の三浦氏以外に全国にわずか数名しか居ない状況でした。
(ダビングしていて眠くなります。)
アナウンサーの力量がイベントの成功の鍵だと再確認出来ました。
(未だにそれに気が付かない主催が多い事がとても残念です。)
ビデオテープのDVD化が終了して、
今は少しずつ地区戦やミドル、フレッシュマンのDVD化を始めています。
今は1989年当時の地区戦の処理をしていますが、
この年がジムカーナ隆盛のスタートの年だと思います。
開催会場は「富士スピードウェイCコース」、「胎内スキー場」、
「関越スポーツランド」、「浅間台スポーツランド」、
「茨城中央サーキット」、「さるくらモーターランド」でした。
(現在でも地区戦が開催されてるのは3コースだけですが・・・。)
この頃の主なナンバー付き競技車両は「AW11」、「EF7」、「GA2」でした。
タイヤは当然Sタイヤでしたが、今のネオバ程度のグリップ性能でした。
この年から、アナウンサーが盛り上げる機運が高まって来ました。
元祖絶叫アナ島村氏もこの年から地区戦のアナウンスを始めています。
この年以前のジムカーナイベントで、
まともにアナウンス出来るアナウンサーは
新潟の三浦氏以外に全国にわずか数名しか居ない状況でした。
(ダビングしていて眠くなります。)
アナウンサーの力量がイベントの成功の鍵だと再確認出来ました。
(未だにそれに気が付かない主催が多い事がとても残念です。)
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